『ディア・ドクター』


 山間の小さな村のただ一人の医師、伊野(鶴瓶)が失踪した。村人たちに全幅の信頼を寄せられていた伊野だったが、彼の背景を知るものは誰一人としていなかった。やがて刑事が二人やってきて彼の身辺を洗い始める——。失踪の2か月前、東京の医大を出たばかりの研修医・相馬(瑛太)が村にやってくる。看護師の朱美(余喜美子)と3人での診察の日々。そんなある日、一人暮らしの未亡人、かづ子(八千草薫)が倒れたとの一報が入る……。(物語:『映画生活』より)

 僻地の町医者、伊野が失踪した後に刑事が調査を進める「現在」と、伊野が診療していた「過去」の日々を交互に見せ、伊野の素性を明らかにしていく。それにつれ映画のトーンもコミカルなものから、だんだんとシリアスで複雑なものに変化していく。(例えば前半にある老人を診療するシーンなどは、客観的に見ればシャレにならないけれどコミカルに描かれる。逆に後半の伊野と相馬の噛み合ないやりとりは一見おかしみがあるが、伊野の素性を理解してきた観客には逆に悲しいシーンに映る。)
 昼夜を問わない医療の合間を縫って更に勉強もする伊野は、患者に対してはとことん誠実であろうとするが、存在自体が矛盾している。矛盾しているからこそ、もっと誠実であろうとする。主人公は、悪意と善意、信頼と欺瞞、嘘と真実、そして割り切れないグレーなものを同時に心に持って揺れ動いていて、観客の心もゆらす。
 また、彼の周りにいる看護婦、伊野の助手、患者、患者の娘、製薬会社の営業マンもみな、伊野の存在を疑いつつも、彼の誠実さに信頼を置こうともする。その割り切れなさが人間らしい部分であり、この映画を豊穣なものにしているものだと思う。
 刑事が相馬や患者の娘(井川遥)に問いかけるセリフは、彼らの気持ちや状況を明らかにするものでありつつ、同時に僻地医療の現在に対する問題提起にもなっていて、思わず高齢化社会に入っている現状、そしてこれからもっと身近になっていくだろう問題について考えさせられた。
 伊野が失踪した後、各々がその後の生活を始める。それはやりきれなさもあって暗いものだ。しかしラストシーンで見せるわずかな光は、鑑賞感をちょっとだけ明るくしてくれる。幕後にはやはり現実の悲しみが訪れることを想像させるが、そこには確かに「誠実さと信頼」が存在していたから。

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 注意深い脚本と、ちょっとした機微を巧みに操る丁寧で堂々とした演出(ちょっと分かりやすくし過ぎた部分もあるのだけど)。ライトにはしゃいでるような多くの同年代男性監督と比べて、西川美和監督のしっかりした感じは実に頼もしく映る。
 そして看護婦役の余喜美子さん、患者役の八千草薫さんの演技も素晴らしい。なんとも優しく可愛いおばあちゃん。また、患者の娘(女医)役の井川遥さんも頑張っていて、何よりその美しさにハッとさせられた。いきなり惚れました(ほとんどの出演者が年配の方だったからかも知れないけど)。