『扉をたたく人』


 僕が映画を観たり、本を読んだりする一番の理由は、他者と出会いたいからだ。自分にはない価値観や知らない世界を見て、世界は広いということを知りたい。変わらない毎日を過ごしていると、客観的に見て自分はどうなのか、今やってることが何なのかを知りたいという欲は常に出てくる。逆に言うと、自分の考えに凝り固まってしまう事をとても恐れている。時には自分の価値観を根底から変えてくれるほどの出会いを心では求めているけれど、新しい価値観を持ち込んでくれるような人と知り合う機会は意外と少ないし、またそれを知っていくのにはそれなりの時間もかかる。だから映画や本でその物語を知ることは、手っ取り早い「他者との出会い」なのだと思う。
 『扉をたたく人』はある老人が、ひとりの青年と出会う事で変わって行く物語。僕は老人がどのように変わって行くのか、その物語を観たいと思った。

 主人公のウォルターは還暦を過ぎた大学教授。妻を亡くしてからは世間と距離を置くようになっている。その孤独ゆえに偏屈になった、さえない感じの描写が良かった。学生のレポート提出期限には厳しいクセに自分の講義録は提出が遅い。他人に厳しく自分に甘い。そのくせプライドが高いから、60の手習いで始めたピアノも教師に諭されると彼女をクビにしてしまう(そのあとひとりで下手なピアノをいい気になって弾くシーンも、どこか寂しくて痛々しくていじらしくて良かった)。講義録も年度を修正液で塗りつぶして使い回そうとしていて、仕事にも情熱を失っている。論文は共同著者でしか書いたことがないけれど、その学会発表を大学から依頼されると言い訳を考えて断ろうとする。大勢の人と会ったりするのが煩わしいからだろう。
 しかし嫌々ながら発表会をするためにニューヨークに出てきたウォルターは、自宅アパートを久々に訪れる。するとそこには手違いで(というか不動産詐欺にあって)シリアの青年タレクとその恋人でセネガル人のゼイナブが住んでいて彼らと鉢合わせをする。タレクとセネガルは警察沙汰になりたくないからとアパートをあっさり出て行く。忘れ物を届けに彼らを追ったウォルターは、宿のあてがない2人をアパートに泊める。いきなり知らない人が自分の家に住んでいたら怖いと思うかもしれないけど、タレクに人の良さを感じ取ったウォルターは、心の奥では、ひとりは寂しいと思っていたのだと思う。
 泊めてくれたお礼にタレクはウォルターにジャンベを教える。タレクは社交的で、太陽のように明るい青年で、どこか人を魅了するところがある。ウォルターも彼のフランクさに心を開いて行く。しかし彼女のゼイナブとウォルターはどこか距離感があって、2人きりになるところでは、あまり会話もないというのがリアルだった。
 ウォルターはタレクからジャンベを教わるうちに、孤独で閉じていた人生から、新しい人生を生き始める。シャイでためらいながらも公園のジャンベ演奏に加わって行くウォルターがかわいらしい。演じるリチャード・ジェンキンスの仕草がとても良かった。
 人生が変わるきっかけとして、「音楽」が媒介になるところが個人的に共感をもてた。クラシック一辺倒だったウォルターがジャンベに興味を持つところ、タレクから貰ったフェラ・クティのCDをノリノリで聞くシーンも良かった。クラシックでも何でも音楽に心酔したことがある人が、他のジャンルの音楽の良さを発見するのは自然だし、今まで聞いた事のなかった音楽を聞いて「お、いいね!」と気づく瞬間の素晴らしい感動、そしてその時に感じる生活が広がっていく予感というのはよく分かる。音楽は生活スタイルと密着していて、ある音楽を選ぶ事は、ある生活スタイルを築くことでもあると思うから。
 ある日ふとしたことからタレクが逮捕されてしまう。ウォルターは弁護士に相談したり、彼を取り戻そうと努力する。自分を変えてくれたタレクに対し能動的に動くウォルターを見て、ゼイナブも次第に打ち解けていくし、息子を心配してNYに出て来たタレクの母、モーナとも心を通わせるようになる。ウォルターは次第に彼女達にとっても「扉をたたく人」になっていく。
 ウォルターが収容所の係員にたまらず言うセリフ、そして、心を通わせるようになるモーナにこれまでの自分が隠していた気持ちを告白するシーンは本当にグッとくる。歳を重ねて世間に対しての自分を取り繕ろう賢さばかりを身につけた男の本当の気持ち。それを吐露できることでどれだけ救われるのか、またそれすらも話せる相手がいなかった事がどれだけ寂しかった事なのかを想像すると、なんだか泣けてきてしまう。
 911以降に警備強化された移民問題について言及している部分も勿論興味深いのだけど、そういった社会的な事象を置いておいて、孤男の再生物語としてとてもよかった。「他者に出会うこと」の物語を観る事も、また他者に出会うシュミレーションになる。この物語はあなたの扉をたたくものになるかもしれない。僕の周りにもまだ気づかぬ「扉をたたく人」はいるかも知れないし、これから現れる可能性もある。そして僕自らが誰かにとっての「扉をたたく人」になる可能性もあるのだ。

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