『美代子阿佐ヶ谷気分』


 1970年代に『ガロ』などに作品を発表していた漫画家・安部愼一と、阿部の彼女で後に妻となる美代子の物語。主人公の安部愼一を水橋研二、美代子を町田マリー、『ガロ』で阿部を担当する編集者を佐野史郎が演じている。
 映画は良かったです。まず構成が面白かった。映画は、阿部の原作漫画を映像化した「漫画パート」と、編集者とのやりとりなど阿部の日常を描いた「実生活パート」を交互に見せていく構成になっているのだけど、阿部が描く漫画は私小説風の物語で、漫画の主人公もまた阿部と美代子である。つまり「漫画パート」と「実生活パート」と分けられていても、観客には2人の私生活を描いた同一線上の物語に見えるつくりになっているところが面白かった。(「漫画パート」は妖しく作られた舞台調の照明、「実生活パート」はリアルな照明と映像に差は付けられているのだけど、阿部も美代子はどちらのパートも同じように演じられているので、両パートの区分けはパッとは気付きにくい。)
 そしてその物語自体は、阿部の自伝のようでありながら、完全なフィクションのようにも見える。映画の導入部では漫画と、コマをまんま実写化した映像をオーバーラップさせ、観客を「漫画」の世界に引き込んでいくし、編集者から「(この漫画は)日記のようなものですか?」と聞かれた時に、阿部は「現実を抽象化して描いてます」と答えるシーンもある。実際2人の生活を描きながら、それはどこか作られた虚構の物語のように感じるのだ。阿部と美代子は常に無表情で、心のこもってないようなポワーンとしたセリフ回しが、夢現な雰囲気に拍車をかける。なんだか鈴木清順の映画を見てるような気分でいると、ふいに劇中唯一リアルな演技をしている佐野史郎が出てきて、また実生活パートに引き戻される。彼は虚構的な物語と観客をつなぐキーパーソン的な存在になっていて良かった。
 それと「美代子」のキャラクターが興味深かった。彼女を愛するあまり精神が崩壊していく阿部とは対象的に、美代子本人は阿部との性行為の中で女性に目覚め、そして子供を持つことで母としての強さも増していく。それはマドンナのような男性的な強さではなく、阿部と添い遂げることを宿命と受け止めた、海のように深い大らかな気持ちを持った女性としての強さ。
 「美代ちゃんってダメねぇ」という漫画の中のト書きが、美代子のナレーションで冒頭と最後に読まれる。冒頭は確かにダメ女のひとりごとのように思えるが、最後に繰り返された時には美代子は全然ダメな女性には思えなくなっている。美代子は成長している。こんな女性と知り合えたらなとちょっと思った。
 美代子を演じる町田マリーが素敵だった。とくに美人という訳でもないのだけれど、強さと、何かを諦めたようなはかなさをたたえたその姿はとても美しく見えた。劇中半分を全裸でがんばっているのも素晴らしい。そして美代子の友人役としてあんじも出演していた。90年代後半にモデルとして大活躍していたけれど久々に見た彼女はそれなりに歳をとっていた。彼女もおっぱいをみせてがんばっていましたよ。
 僕は中央線沿線に住んだことはないけれど、この映画の持つトーンは僕が脳内でイメージしていた「70年代の中央線の雰囲気」をピッタリと映像化されていた。どこかワイゼツで、どこか暗くて寂しくて、でも生活感はある中央線沿線の生活の匂い。バンドのゆらゆら帝国の発する雰囲気が、誰にとっても「高円寺」をイメージさせるのに近い感触。衣裳のスタイリングや美術の統一されたイメージがそういう印象を残しているのだと思うのだけれど、その画面の雰囲気は見ていてとても心地よいものだった。
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