即座にドロップキックが出来る男は、いい男だ。

 以前アンケートの質問に、「いい男の条件とは?」という質問があって、「即座にドロップキックが出来る男は、いい男だ」と書いた事がある。その場で思い浮かんだことをネタ的にさらさらと書いたのだけど、何でドロップキックなのかは自分でもよく分かっていなかった。
 先日久しぶりに、ポン・ジュノ監督の映画『殺人の追憶』を見返したら、答えはそこにあった。ドロップキック!本作でドロップキックをしているシーンは2カ所ある。ひとつは、ソン・ガンホが強姦魔と間違えて刑事を蹴ってしまうシーン。もうひとつは、取り調べで郷を煮やした刑事が容疑者を蹴るシーン。
 やはりいきなりドロップキックは凄い。普通やらないよ。ビックリするもん。映画的にはドロップキックの見た目も楽しいしインパクトもあるけれど、それ以前に日常生活で相手が怒った時にドロップキックを喰らわされたらどう思うのだろう。ドロップキックは、蹴った後に本人も倒れてしまうし、戦い方としては効率がいいものではないかもしれないけれど、両足を宙に繰り出すその捨て身感は、やはり普通に殴るよりよりも、相手に与える精神的なダメージは大きいのではないか。「ドロップキックを喰らった!」となったら大変へこみそう。
 人は常に何かしら保険をかけながら生きている。しかし、本当に愛する人を守る時、勝負に出なければいけない時、男はドロップキックを繰り出せるようなフットワークの軽さと、思い切りのよさを持つべきではないだろうか。体育館に安全マットが置いてあった場合、男子はみなその上でドロップキックを試したことがあるように、ドロップキックはずっと少年の憧れでもあった。自分は自爆してでも守るべきものがある。そうしてマット無しのドロップキックを繰り出せた時、少年はそこで一人前の男になる。ような気がする。
 やはり以前のアンケートの僕の答えはテキトーではなかった。今はすごく気が利いた答えを書いていたような気がして思わず自画自賛。いや単なる自己満足。だって注釈がなければ「即座にドロップキックが出来る男は、いい男だ」と言ったところで中々伝わらないしね。
 ついでに思い出したけど、名作『時計仕掛けのオレンジ』も一番クールなシーンは、ドロップキックのところだよね。あと『グエムル』のDVDを見直したら、やはり兄弟喧嘩のシーンでドロップキックがあった(正座の状態からドロップキック!)。ドロップキックの良さを分かっているポン・ジュノは正しく男を理解している。今年は彼の新作『母なる証明』が公開される。僕はそこでウォン・ビンの(もしくはお母さんの!?)ドロップキックを観れることをとても楽しみにしている。
 ちなみにYAHOOで「ポン・ジュノ ドロップキック」と検索したら結構そのシーンを指摘してる人がやはり何人もいて、今さらな話で申し訳ないなと思った。Blogの難しいところである。