『SUPER 8/スーパーエイト』(J・J・エイブラムス)


SUPER 8/スーパーエイト』を初日、新宿に観てきました。
 JJエイブラハムが、『ET』『未知との遭遇』のオマージュ映画をスピルバーグと一緒に撮るということで、期待度で言えば今年ダントツ。わたしもスピルバーグの映画を見て育った子供でした。『ET』は、わたしが小学4年生の冬に公開された。事前に雑誌の「ロードショー」や「スクリーン」を読んで、アメリカでとんでもなくヒットしているという話や、毎月ちょっとずつ小出しにされる『ET』の情報をみて、どんな映画なのか想像し、胸をときめかせながらその年を過ごしました。『ET』は公開初日に、近所の映画好き家族に一緒に混ぜてもらって観に行きましたが、1年の期待を裏切られずに楽しく見れて嬉しかったことを憶えています。子供の時に『ET』が公開された事はわたしの中ではとても大きかったです。
 なので、『SUPER 8』の予告をみた時、懐かしさが込み上げるというか、小学生の時に感じたあのわくわく感を追体験しているようでした。ちびっこと、自転車と、映画づくりと、アメリカ郊外と、憧れの美少女と、デブキャラ。もう好きなものが揃ってる。これだけでオールオッケーと思いましたが…。個人的には、いいと思ったところ、そして、だいぶ気になるところが混在した映画でした。
 以下、観て感じた事を、箇条書きに書いていこうと思います。思い切りネタに触れています。

※※※以下ネタバレしています※※※



【いいなと思ったところ】
●オープニングの流れ。工場で事故が起きた事、ジョー少年(ジョエル・コートニー)や家族に何が起きたのかを暗に臭わせるところ。直接的な描写なしに描いていくところは映画的で良かったです。「察して?」っていう。
列車事故シーン。すごいよ。やりすぎ!って笑えたくらい。
列車事故の翌日、事故現場を背景に少年たちが映画を撮るシーン。ここのロケーションがすごくいいんですよね。広い画で。そしてトラウマになりかねないほどの事故の翌日でも、チャンスあれば映画を撮る少年達。映画の一番大切なことは、「完成させること」だと思います。学生映画の場合、ちょっとしたことで製作が頓挫してしまうけど、デブ監督はそこで挫けない。ここにグッときました。たぶん学制時のJJもきっとそうだったんだろうなと思ったりして。
●護送車内のアクションシーン。閉じ込められた中に外から襲われる定番シーン。ちょっと「ジュラシックパーク」っぽいかなと思いました。こわい。
●ガススタンド、高所作業車の襲撃は、どっちもドキドキしました。特に逃げ場のない高所作業車の上。アクションシーンはどれもドキドキが味わえてだいぶ興奮しました。
●デブ監督が、「おまえら両想いだろ」っていうシーン。ちょっと切ない。両想いって言葉が懐かしいですよね、大人になると、あんまり「両想いだね」とか言われないし、言わないし。キュンです。
●アリス(エル・ファニング)が、夜に窓から自分の部屋に入ってくるシーン。青春映画の定番。そしてお母さんを映した8ミリを見るシーン。「こうしてるとママが死んだことが信じられない」というジョーを受けて、アリスが心情を吐露する。ここで少年が女の子とちょっと心を通わせる、いいシーンだったと思います。自分も母親がいないのにジョーを気遣うアリス、優しい子。
●火薬担当の子の活躍。劇中2回くらい「火薬の子は危険だから、彼とは離れなさい」と蔑まれるんだけど、彼が終盤にちょっと活躍すんだよね。やったね。
●エンドクレジット。これは最高に微笑ましかったです。列車事故のシークエンスは、後日ちゃんと撮り直しをしている。エイリアンが映っていては繋がらないというのもあると思うけど、エイリアンとのことをきちんと過去にしてる感覚が観ていて気持ちよかったです。
●あとは当時を感じさせる小道具、ウォークマン、ヒット曲、デブ監督の部屋の美術なんか良かったです。それと、昔にスピルバーグが多用してたワイドレンズでの人物へのトラックアップ(カメラが前進)とか、逆光、ハレーションなんかはスピルバーグ映画を思わせて、個人的にはよかったです。JJのやりたいこと、分かるよ!みたいな気持ちで観ました。
●それとこれは個人的になんですが、主人公が特殊メイク担当だというところにグッときてしまいました。わたしも中学の頃は、特殊メイクマンになりたかった。中学校の文化祭で、クラスの出し物が「お化け屋敷」になったのですが(アイデアのないクラスの定番出し物)、メイクをやらせて貰ったりして楽しかったです。フレディ・クルーガーっぽい爪とかも段ボールや何やらで作ったりもしました。80年代はSFXブームがあったから、アラフォーの映画ファンは、当時、特撮マンになりたいと思っていた人は割といたんじゃないかと思います。だからこんなオタクな主人公が、アリスみたいな美少女に気に入られるのが、羨ましいというか、なんというか、「ありえん!」と鼻息荒くなりました。そしてこの映画のエル・ファニングのかわいいオーラがちょっと尋常じゃないんですよね。ヒロインとしての説得力がありました。



【気になったところ】
主にストーリー上、人物の行動でオヤっと思うところがありました。
列車事故でも先生が生きてるところ。普通、事故に遭っても無事だと良かったーと思うものでしょうけど、事故の凄惨さからすると、生きてる事に違和感がありました。先生は生徒たちに大事なことを示唆するので、ストーリー上必要なのかもしれないですが…。でも先生の立てた作戦が向こうみず過ぎる。脱線させる作戦は他にもあったんじゃないかと思ったりしました。
●その後、先生が病院のベッドに寝ているのだけど、顔とかが事故の時のまんまにされている。病院いるなら、血を拭いてあげたり、傷の処置してないのかな。
●ジョーの無免許運転。『ET』でもお兄ちゃんが無免許運転してるけど、いちおう練習シーンはある。「SUPER 8」では当然のようにジョーが乗れることになってる。これだとフィルム現像のお兄さんがアッシーになる意味ないんじゃないかな。
●事故の際拾ったエイリアンのキューブ。なにか秘密があるのかと思ったら、特に意味がない…。・
●アリスのお父さんが派手に事故る。「あれ?」と思ったのは、娘がそれをボーッと見てるところ。もうちょっとお父さんの事故を心配してあげてください。
●アリスがお父さんの目の前でに連れ去られた後のシーン。お父さんは事故ったせいで動けなくて、娘の安否をジョーに託してしまう。お父さん!!工場の事故の件で負い目を感じてるはずのジョーに、アリスを捜しに行かせることが引っ掛かる。死にものぐるいで助けに行けとは言わないまでも、先に警察とかに相談するものじゃないのかな。例えば警察に娘を捜すようにお願いしてる場面を、ジョーが観てしまって、自主的にアリスを捜しに行くとか。
●護送車の中でやられてしまう軍人さん。ずっとあのエイリアンを隔離してたくらいなのに、無防備にやられてしまうところが惜しいなと思いました。モンスターの弱点とか少しは掴んでないのかな。そもそもどうやってあんなモンスターを貨車に閉じ込めることが出来たんだろう。
●エイリアンの改心のシーン。これは「えっ?」となりますね。ちょっと唐突にみえる。さっきまで殺すどころか、食べてたでしょ、アンタ。もともと良いエイリアンだったのに、人間に捕らえられて凶暴になったということが、先生の語りで説明が入るけれど、その説明の時の画は、人間がエイリアンにやられてるところだからね。説明だけじゃなくて、ちゃんとエイリアンに同情させる作りになってないとツライと思います。仲良くなくてもいいけれど、人間と話が通じるエイリアンというのが画で分かる前フリがないと、観客はここでいきなり冷めてしまうように感じました。
●ラスト。ジョーが「親の不在を乗り越える」という部分。(これは「良かったこと」も含んでますが。)
『ET』でのETは、お父さんがいないトーマス少年のところに現れた「父なるもの」で、映画はその「父なるもの」と決別するというのがテーマだった。今回はそれに倣うように「お母さんとの決別」をやろうとしている。ただ『ET』のように、エイリアンが少年にとって乗り越えるべき母のメタファーだったかというとそれは疑問で、エイリアンからアリスを救い戻すことによって、「母との決別」は成されている。もういない母を振り返るより、現実の女の子の手をとること。そしてそれが成長すること、生きていくことなんだ。というメッセージ。それはいいと思ったのだけど、そうするとエイリアンは何だったのだろうという疑問が残っている。もちろん宇宙に帰ってもいいんだけど、別に理解できないモンスターとしてエイリアンを退治しちゃっても良かったのかな、とも思ったりもする。
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残念なところもあるけれど、この映画をイマイチと言って切り捨てるには忍びない気持ちもある。何故ならスピルバーグの映画をみてJJが感動したこと(そしてわたしも感動したこと)に、改めて彼が自分の映画でトライしようとしているからである。それはサスペンスを表現することと、それを経て主人公が成長していくというポジティヴなメッセージを持つこと。いびつなところもあるけど、ラストシーン、そして完成した子供たちの8ミリ映画を見て、わたしはどこか救われたような気分になった。いい子ちゃんだっていいんだよ。